おじさんの買い物日記

40代のおじさんが買ってよかったものを細々と紹介

こんなのがワラワラあるんだろうなぁ・・・

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統一教会で賑わってますが、水面下でどれだけ同じようなのがあるのやら・・・

正直朝鮮似非キリスト教にハマるやつの気が知れん。

というより日本人的宗教観からすると、一神教に心酔する気持ちが理解できない。

 

日本人の宗教観って基本的には台風とか津波とか地震とか自分達の力の及ばないものに対しての畏れというのが根底にあって、神に向かって手を合わせるという行為は「どうか害を与えないでください」とか「どうか祟らないでください」って感じで「祈る」というよりは「拝む」イメージがあります。アニミズム的な考え方ですね。菅原道真なんて今や学問の神様として崇められていますが、元々は日本三大怨霊なんて言われるぐらい数々の祟りをもたらした故に神として祀られたという経緯もありますし、平将門公の首塚なんてまさしく「祟らないでください」で祀られてますよね。自分達に害を及ぼしそうなものを神格化して祀り崇めることで祟りを鎮め、平穏と平和を取り戻そうというのが基本的な考え方。だからなんでも神様にしちゃう。

 

対してキリスト教に代表される一神教では、最終的には神に「救済」してもらうのが目的なので、救済されるに相応しい人間であるために教義に忠実に生活を送ることが正しいとされていたり、「徳を積む」という名目で様々な不正がまかり通る土壌がある。「免罪符」なんてのはいい例ですね。救済してもらう為に徳を積むというのが当たり前に正しいという認識なので、信仰にのめり込み過ぎると身の丈に合わない寄進をして家庭崩壊するなんて事態が起こる。本人としては徳を積むためにいいことをしているのに何が悪いの?って認識なのでしょうが、巻き込まれる方はたまったもんじゃない。もちろん真摯に教義に従って清貧な暮らしをしている人々も数多くいることは事実ですが、上の人間が屑だと途端に不正の温床になってしまうという構造的問題があると思う。

 

朝鮮の似非キリスト教は本家から「異端」の烙印を押され国内での活動がしにくくなって活路を求めて日本へ雪崩れ込むというケースが多いです。文化的に近いというのもあるんでしょうが、「因果応報」という観念が通じるというところが大きいのでしょう。手相などで因縁をつけて不安を煽り、高額な壺や仏具などを売り付ける霊感商法は因果応報という観念のない欧米ではまず通用しない手口です。自分に災いをもたらしそうなものを無意識に拝んでしまう日本人は取り込まれやすいのかもしれません。